銀熊賞受賞の寺島しのぶ、若松孝二監督登壇!『キャタピラー』大阪特別上映会「正義の戦争なんてない」若松監督がつきつける戦争のはらわた
6月25日(金)、大阪市中央公会堂にて『キャタピラー』の特別上映会が開催された。日本社会に向かって問題提起をし続けてきた若松監督が描く戦争映画で、映画『ジョニーは戦場へ行った』と江戸川乱歩の短編小説『芋虫』をモチーフにしたオリジナルストーリーだ。舞台は太平洋戦争末期。四肢を失った姿で帰還し軍神として奉られる傷痍軍人の夫と周囲の圧力と期待から献身的に世話をする妻。夫が食欲と性欲のみをぶつけてくる中、次第に夫婦の主従関係が逆転していく。主演の寺島しのぶが第60回ベルリン国際映画祭にて銀熊賞(最優秀女優賞)を射止め注目を集めた本作。
雨にも係わらずおよそ800席の会場はほぼ満員となった。
エンディングロールに流れる主題歌は、元ちとせの魂を揺さぶるようなヴォーカルが印象的な『死んだ女の子』。大きな余韻が残る中、舞台挨拶に若松監督とワインレッドのドレス姿が鮮やかな寺島が登場した。
反戦歌『死んだ女の子』は、広島の原爆の悲劇を題材としたトルコ出身の詩人 ナジム・ヒクメットの詩を元にした曲で(訳詞:中本信幸、作曲:外山雄三)、坂本龍一がプロデュースを手掛けたことで話題になった。若松監督はこの曲との出会いを、まさに「訴えたいことが重なった、奇跡のような出会い」と語った。「エンディングには曲が入っていなかったんですが、急遽エンディング曲に変更しました」。
6月19日より全国に先駆けて『キャタピラー』の公開が始まり大盛況となっている沖縄については、公開日に思い入れがあったという若松監督。昔、助監督を務めた『太平洋戦争と姫ゆり部隊』(1962)で、沖縄集団自決やひめゆり部隊の資料を集めるように言われ、240人のひめゆり部隊のうち136人が犠牲になり、そのうち14人が6月19日に自害したことを知った。「その時、いつか戦争映画を撮ることがあれば、6月19日、沖縄を封切りにしようと決意しました」さらに原爆投下やポツダムが宣言受諾された日への思いを込めて、8月6日は広島、8月9日は長崎、そして8月14日に全国の劇場にて公開することにしたという。
そしてトークは、とこともあって、話題に。
去年は、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』でフォーラム部門「国際芸術映画評論連盟賞」と「最優秀アジア映画賞」の2冠に輝き、今年は『キャタピラー』で高評価を受けた若松監督。1965年の原爆を扱った『壁の中の秘事』との扱いの違いを、「この映画をベルリンに出品した時は、国辱映画とボロクソに言われました。いつも評論家とケンカをするか無視されるかですが、寺島さんなら取り上げられずにいられないだろうと思って。寺島さんになんとか賞を獲らせてあげたいと思いながら撮影しました。大阪でこんなにお客さんが入るとは、感激です!」
24日に行われた名古屋の試写会は残念ながら動員は少なかったとのことで、「無料ならいっぱい入っただろうけどね(笑)大阪はダメな時にはキツイけど、いいものはちゃんと評価してくれる。東京は格好つけて、いいと思っていてもつまんなそうな顔をして観るからね」思わぬ東西比較に会場は笑いと拍手に包まれた。
4月24日、ベルリン映画祭の結果を待っていた舞台稽古中の寺島の元に、若松監督から電話があった。「“寺島くん、今回はダメでした”“世界中から作品が出品される中で、コンペに選ばれただけでも良しとしましょう”“ウソです。おめでとう!”っておっしゃるから“キャー”って叫んでしまいました」とお茶目な一面を見せた。
この舞台挨拶のために持参した熊のブロンズ像を観客にお披露目した寺島に、観客からは大きな賞賛の拍手が起こった。
「全世界と闘って、本当にくまちゃんを手にできるとは…。撮影中は、監督が段々くまちゃんに見えてきて、賞が取れるような気がしていました。今は自宅の本棚に鎮座しています」
また、キャスティングに関して寺島は、
「大西信満さんとは『赤目四十八瀧心中未遂』で共演していたので、大西さんが出るんなら私は出ない方がいいんじゃないかと思って、監督にはそうお話したんです」とオファー時の葛藤を明かした。
しかし若松監督はどうしても寺島でというこだわりがあった。「ノーメイクでも大画面に耐えうる顔で、モンペの似合う女優さんということで選びました。寺島くんに決まって、映画が70%出来たなって確信がありました。大西くんは『連合』の撮影中に晩に酒を飲みながら、“こいつしかいない!”と思って。口で字を書く練習しとけって言ったんです。大西くんはメシの食い方が上手いでしょ?撮影は、ほとんどテストなし。演技は繰り返せば段々良くなくなってくる。一番最初の演技が一番良いんですよ。一発勝負だから寺島さんのプレッシャーは大変だったと思う。クランクアップ後に聞いたら血尿が出たらしいんです」と寺島さんの苦労をねぎらった。
初めて台本を見た寺島は、撮影に1ヶ月はかかると思ったと言う。「監督が“寺島くんは忙しいだろうから2週間で撮るよ”っておっしゃって。『ヴァイブレータ』と同じだと思っていたら、結局それより2日短い12日で撮り終わりましたね。
『実録・連合赤軍』を観て、とんでもなくいじめられるんじゃないかと思いながら撮影に入ったんですが(笑)。1日大体10シーンを休みなしでこなしました。ずっとこの映画を成功させたいというアドレナリンが出た状態で、撮影中は眠れないし食べられなかったですね。スタッフはたったの14人。この人数で作るなんて有り得ないことですよ。若松組は監督に惹かれて若い人が集まっていて、1人4役5役こなす。その情熱が凄い。監督が右と言えば左を向いてる人なんて1人もいない。予算が豊富な甘やかされた現場も経験したことがありますが、映画って情熱があればできるんだなって思いましたね」
寺島の言葉を受けた若松監督は「監督なんて誰でもできるよ。志と情熱さえあれば!」と30本以上の作品を世に送り出してきたモチベーションの根源を語った。そして、
「正義の戦争は絶対にないし、戦争は大勢の人の命を奪うものでしかない。みんな騙されて戦争に行ったんだから。特に沖縄は騙されて酷い目に合って来ている。普天間基地の移転先を東京に作ればいいんだよね。皇居、国会、大企業が揃ってるんだから。鳩がダメだったんだから管がちゃんとやればいいんだけど」と混迷する政局に激を飛ばした。
「今日は観に来てくださって本当にありがとうございました。もしこの映画が気に入ってくださったら、ぜひ周りの方に宣伝してください」と最後は寺島が締めくくった。
タイトルの『キャタピラー』は、芋虫を意味するが、同時に戦車の足であるカタピラーのことも差している。破滅に向かってじりじりと進んでいく“キャタピラー”の姿に人間の愛憎の根源を重ねて描く本作。劇場で世界で評価された寺島の熱演と若松監督の問い掛けに向き合ってみよう!
(取材:ディーイ松田)