『幸福の黄色いハンカチ』広場交流イベント 2月27日(土)14:00〜 幸福の黄色いハンカチ広場

ゲスト:山田洋次監督、濱松フミ、保存会代表・佐藤学

『幸福の黄色いハンカチ』の撮影当時のロケ地として夕張の観光名所のひとつとなった「思い出広場」。撮影時のスタッフ、キャストの世話をつとめ、観光地になってからは訪れる観光客との交流を通じて、この『幸福の黄色いハンカチ』の夕張市民としての語り部的存在であった浜松フミさん。
数年間前に夕張を離れた彼女が住んでいた家を、本作の資料館として保存しようと、地元の有志が集結しついにオープンした。
この日、映画祭に開催に合わせて来夕した山田洋次監督と浜松フミさんが8年ぶりの再会を果たし、共に『幸福の黄色いハンカチ』の絵看板の除幕式に登場。
この日は濱松さんの88歳の誕生日でもあり、まさに記念すべき1日となった。

【山田洋次監督コメント】 『幸福の黄色いハンカチ』の看板が「黄色いハンカチ広場」に飾られて、この映画は、ここで撮影されたんだなぁと思いだしてもらえる、いい記念になったと嬉しく思っています。

【濱松フミさん宅保存活動について】
今回交流館としてオープンした建物は、濱松豊次さんフミさんの自宅兼理容院として使われていたものです。お二人は江別市のとある理容院で出会われ、結婚し、樺太の野田(現在のサハリン)に渡り理容院を開業しました。終戦後、炭鉱で繁栄を続ける夕張に移り理容院を営み、二男一女を育て上げるとともに多くの方に支えら、愛される理容院であったそうです。その後、相次ぐ探鉱の閉山が続いていた1976年「幸福の黄色いハンカチ」のロケが行われ、感動のラストシーンが濱松宅前で行われました。ロケの際、高倉健さんをはじめとするキャストに手料理やコーヒーを提供したり、黄色いハンカチがなびく風が吹くのを待つ場所としても利用されました。映画は大ヒットし、平成元年から6年に渡り夕張市が炭鉱長屋を移築するなどして整備した「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」には、これまで70万人方々が訪れる夕張を代表する観光地となりましたが、平成18年まで管理人として施設を守ってくださったのも「濱松フミ」さんでした。これまで、この地を訪れた多くの観光客の方々は、濱松フミさんの優しさに触れるとともに、夕張の物語、映画「幸福の黄色いハンカチ」の語りべとして愛されてきました。平成18年11月、住み慣れた夕張を離れ、生まれ故郷である江別市で、娘さんと暮らすこととなりましたが、夕張市が財政破綻した平成19年夏、市役所に一本の電話が入りました「濱松さん宅を明日、解体する業者ですが・・」 無我夢中で濱松さんに工事の中止をお願いしました。とは言ったものの、古い木造。床落ち、傾きもあり、素人がどうするべきか悩み続けました。翌年の6月、山田洋次監督が夕張を訪れ、黄色いハンカチひろばを見学した際、ここに居た濱松さんは、どこへ?この家はどうする?との問いかけに、娘さんの元へと行きました。この施設は活用をしたいと思っていますが・・と答えたところ、『この家も含めて黄色いハンカチひろばであり、夕張の若者が頑張って残すべきでは』との激励をいただきました。 有志数人で保存活動を開始し、住宅の補強、床落補修からスタートし、自宅に残されていた不用品の中から当時の様子が分かるものを集め、濱松さんが大切にしていた当時の写真をお借りして、一緒に展示したりすることで、なにか懐かしく、優しい施設としてオープンする運びとなりました。本格的なオープンは今春からとなります。