「イースタン・プレイ」のゲストをお迎えし、記者会見が行なわれました。

■ 記者会見 10月22日(木)12:30 (ムービーカフェ)
■ 登壇者 カレン・カレフ(監督/脚本/プロデューサー/編集)、ステファン・ピリョフ(プロデューサー/編集)

日本にはブルガリア映画についての情報がなかなか伝わって来ません。まずは、ブルガリアにおける映画製作環境について、カレフ監督とプロデューサーのピリョフさんに伺いました。

質問: ブルガリアの新人監督の作品が日本で公開される機会はあまりないのですが、新人映画監督にとってブルガリアにおける撮影環境というのは、どのようなものなのでしょうか。
監督: ヨーロッパ全体について言えることですが、新人ですと信頼して投資をしてもらうことは難しいことです。特にブルガリアの場合、国が小さく、昔ながらの金融制度が上手く機能していません。今回の映画は低予算で制作しなければならず、出演者も友人や情熱を持って是非参加したいと言ってくれる人たちにお願いしました。国の助成金はもらいませんでした。後になってから、個人投資家を見つけることができまして、編集まで漕ぎ着けることができました。その後スウェーデンの共同プロデューサーも付いて、映画を完成させることができたわけです。
ピリョフさん: ただ、ブルガリアでの状況は、上向いていると思います。次の作品については、国立フィルムセンターの支援を受けられることになりました。少しずつ若い映画人にとって状況は良くなって行くと思います。

質問: 年に何本くらい映画が作られているのでしょうか?
監督: ブルガリアでは、年に7〜8 本しか映画が作られていません。ですからこのような映画祭に参加できることは、ブルガリアにとって大きなチャンスなんです。この作品を通して、東京の皆さんにもブルガリアにおける生活の一部、社会情勢を見ていただくことができます。このことは私たちにとって大変重要なことです。

質問: 映画はブルガリア語ですが、トルコ語や英語の会話も出てきますが、監督はフランス語をお話しになっていますね。
監督: トルコはブルガリアの隣国ですが、全く異なる言語ですね。トルコから欧州諸国へ出ていく人は多くいますが、トルコ人はどこへ行ってもトルコ語を話しています。ただ、母国語が違う者同士の会話においては、この映画の場合のように世界の共通語のひとつである英語を使います。パリで映画を勉強し、5 年ほど住んでいましたから、私にとってフランス語は話しやすい言語です。

質問: 主演の俳優の方にインスパイヤーされて、この映画の発想となったと伺いましたが、どのような人物で、映画のどの部分に彼の要素を取り入れたのか教えてください。
監督: フリストは、こどもの頃からの友人です。フランス滞在中は会うことはなかったのですが、ブルガリアに戻ってからはまた会うようになりました。この映画の色々な場面は彼の人生と重なっています。例えば、アパートや職場、恋人、クリニックです。彼は芸術家なんですが、彼の作品もこの映画に登場しています。麻薬依存ということも事実です。フリスト本人がフリスト役を演じているのですが、もちろんフィクションの部分はたくさん入れ込んであり、これはフィクション映画です。彼はプロの俳優ではありませんが、この役を快く引き受けてくれました。

質問: その後お亡くなりになったと伺いました。差し支えなければ、そのことについて教えてください。
監督: 撮影が終わる前のことです。映画の登場人物と同じく、麻薬が原因で他界しました。

質問: 撮影中にも、その可能性を感じていたのですか?
監督: ちょうどフランスから戻って再会した頃、フリストは「僕は崖っぷちにいて、もう死にたいと思っている」とこぼしていました。ドラッグやアルコールに依存していました。この作品を通してどうにか立ち直ってくれることを願っていました。危険な状態にいたことは事実ですが、それ以上のことはわかりませんでした。

質問: 風景が印象的だったのですが、馴染みの場所で、あるいは風景を見てそこで撮ろうと決めたのですか?
監督: 私のプロジェクトは、ある場所やある人物、ある役者を発想の元にしています。映画に登場した場面の8 割は、ブルガリアのソフィアに暮らしている人たちにとっては馴染み深い場所です。お気に入りの場所が登場したということ、それを違う視点で見ることができたという点においても、ブルガリアの観客には好評でした。

*「イースタン・プレイ」は、10月24日(土)22:39よりTOHOシネマズ六本木ヒルズScreen 7にてQ&Aが行われます。