映画『セントアンナの奇跡』「スパイク・リーは単なるカリスマじゃない」トークイベント開催!
7月25日(土)に公開となります、『マルコムX』『それでも生きる子供たちへ』『ドゥ・ザ・ライト・シング』など、人種問題を鋭く描き、黒人社会を代表する社会派監督、スパイク・リーによる最新作『セントアンナの奇跡』につきまして、昨日7月14日にDJ・音楽プロデューサーの高木完さんをお呼びしてトークイベント付き試写会を実施いたしました。
MTV主催 映画『セントアンナの奇跡』トーク付きイベント試写会
■日程:7月14日(火) 午後18:30〜
■場所:スペースFS汐留 東京都港区東新橋1-1-16 汐留FSビル3F
■登壇ゲスト:高木完(DJ、プロデューサー)
Q:スパイク・リー監督への思い入れを。
高木:20年前に『ドゥ・ザ・ライト・シング』が上映されたんだよね。もちろんその後の作品も大好きだけど、一番印象的だった。
20年前、NYに住んでいた時に、マンハッタンの映画館に友達と二人で観に行ったんだ。お客さん全員が黒人で、場内満員だった。外国の映画館って、観ながら声を上げる人結構いるんだけど、そんなもんじゃないんだよ。オープニングでパブリック・エネミーの曲が流れたら、全員で立ち上がって曲に合わせて掛け声をかけたり。もう会場全体が熱気でもの凄かったんだよね。コンサート会場みたいだった。
映画の内容も、劇場の雰囲気も、とにかく普通じゃなかったよ。
Q:黒人のカリスマとなった要因は何でしょうか?
高木:ブラック・エクスプロイテーション映画は好きじゃない、と明言していて。
まっとうに黒人の映画を撮りたい、とずっと言っていた人。そのスタイルで『ドゥ・ザ・ライト・シング』以降頂点に登りつめて、圧倒的な支持を受けた。その一方、黒人の普通の生活をリアルに描き過ぎて嫌だと言われたりして。
単なるカリスマではなく、必ず論争を巻き起こしてしまう人だよね。
Q:時代が変わりましたね。
高木:変わったよね。オバマが大統領になったし。
今回のトークイベントに呼ばれて、もう1度「ドゥ・ザ・ライト・シング」を見直したんだけど、20年前に観た時と全然違って。今観てもカッコいいんだけど、なんか違う。それは時代が変わったからだと思う。
スパイク・リーはあの時代の空気を正確に切り取っていたということ。スパイク・リーの作品って、空気感が出ていて、例えば夏のシーンだと暑さや熱気がムンムン匂ってくる。愛情込めて作っている分、リアルさが出ているんだよね。
「マルコム X」ぐらいから作風が変わったと思う。
ただただ論争を巻き起こす映画ではなく、さりげなく作品の中で問題を提起するようになった。作家として成熟してきて、そして『セントアンナの奇跡』に結びついた。『セントアンナの奇跡』は単純にグッときた。エンディングとか泣いちゃうしね。そんなのはスパイク・リー作品では初めてだよ。
Q:成熟してきても、スパイク・リーは相変わらず言いたいことは言いますよね。
高木:思ったことは言っちゃうんだよね(笑)クリント・イーストウッドとケンカしたり…。言わなくてもいいことを言ってね(笑)
Q:NBAの中継を観てたら、ベンチで選手とスパイク・リーがケンカしてましたよ(笑)
高木:だからきっと、彼はオバマ支持者だけれども、彼にも言いたいことがあると思うよ。オバマが大統領に当選したことに関しては相当感慨深いものがあったと思う。
オバマとミシェル夫人は初デートで『ドゥ・ザ・ライト・シング』を観に行ったらしいし。
Q:次回作への期待は?
高木:また、ブルックリンを舞台にした映画も観たいな、とも思うよ。
今回の作品にしても、取り上げている題材はバッファロー・ソルジャーという黒人部隊で、ジェイムズ・マクブライドの原作を読んで感動して、直接脚本の執筆まで頼んだりして、とても彼らしい。
映画の中でも、ところどころスパイク・リーらしいショットがあったりで、生粋のファンにも安心だと思う。
Q:最後に『セントアンナの奇跡』についてお聞かせください。
高木:スパイク・リーの伝えたいことが伝わる作品。
年を重ねて円熟を増して、誰が観ても「傑作!」と思う映画になってると思うんで。
泣けるし。楽しんで欲しいです。
《高木完(たかぎかん)氏プロフィール》
17歳でパンク・バンド、FLESHに参加。81年〜84年にかけて東京ブラボーで活動。
岡野ハジメも参加しバンドとしての盛り上がりを見せる傍ら新宿ツバキハウスでDJを始めるのもこの時期。84年東京ブラボー解散。手塚眞監督の映画『星くず兄弟の伝説』に出演。このあたりからパンクからヒップホップへ傾倒し、85年、ヤン富田に誘われいとうせいこうのサポートでラップを始める。86年には藤原ヒロシとのユニットタイニー・パンクスが本格始動、同時に次々とクラブがオープンしまさにブームの火付け役であり渦中の人となる。88年には日本初のヒップホップ・レーベル、メジャー・フォースを中西俊夫、屋敷豪太、KUDO、藤原らと設立。スチャダラパーのデビュー作『スチャダラ大作戦』のプロデュースを成功させた後、91年に初のソロ作『フルーツ・オブ・ザ・リズム』をEPIC/SONYよりリリース。以後アルバムを4枚リリースする。リミックス、プロデュースは多岐、多数。パンク出身から日本のヒップホップの牽引者の1人としてシーンを盛り上げると同時にその両方の精神とスタイルを以って独自の高木完スタイルを築いている。