11月22日、北沢タウンホールにて山崎貴監督と阿部秀司エグゼクティブ・プロデューサーと進行役にキネマ旬報映画総合研究所、掛尾良夫所長をお迎えして、映像が生活を輝かせる影響と魅力について語って頂きました。

掛尾:1本目が一昨年の11月5日に公開されました。映画会社というのは、年初にラインナップを発表します。その中で業界人は原作の「三丁目の夕日」からどういう映画になるのかと、ほとんどマークしてなかった作品でした。試写が始まり、なんかすごい映画だぞってどんどん評判が広まって、公開されると1週目から2週目と評判がよく、その年のあらゆる映画賞を総なめにしまして、興行収入も35億円というベストテンに入る大ヒットでした。その後、1本目がヒットした事で2本目が当然のように期待され、普通以上のプレッシャーが高かったと思うのです。どういったプレッシャーがありましたか?

阿部:1作目は、自分の想い描いていたものに近いものだった。自分なりの自信もあった。それはそれで良かった。1作目が終わった時、誰も2作目を考えていなかった、その証拠にオープニングのラジオのマークをもらったんです。使わないから記念にと。公開してしばらくして劇場にいくと、たくさんのお客さんの中で80歳くらいのおばあさんと18・19歳のお孫さんと観にきていた。こういうお客さまに観て欲しいなっていうお客さまでした。こういったお客さまがいるんだったら、もうひとつ作ってもう一回喜ばしたいなと思ったのがきっかけです。監督は2作目作るよって言ったとき、引いてましたから。

掛尾:あの1作目で完結していて、あれで完成されているという気持ちがあった。ファンのみなさんの中には三丁目の住人が生きている。プロデューサーとクリエイターとの立場も違うと思うのですが。俳優の皆さんも含めて、皆さんを説得させるものにならないといけない。監督の立場からして大変だったと思うのですが。

山崎:2作目って1作目があるから皆さんかんたんに出てくれる訳ではなくって、こんなに大変なんだと思いました。1作目がすごくいい映画になったとみなさん自負があったと思うので、2作目やるのどうなんですかね。と言われまして。作らない方がいいんじゃないですかって、喜んだのは子ども達ぐらい。わーいわーいって。変える訳にはいかないから、あのキャラクター達に会いたいから作る訳ですから、あの人達じゃなきゃできない、全員揃わないならやめましょうと言っていたくらい。

掛尾:面白さの重要なものに物語の描かれ方がすばらしいんです。昭和30年代を描きながら、従来の人情ドラマより現代に通ずるものがある。キネマ旬報のインタビューでもたいまさこさんが、「ああいう世界の人間関係というのはやり過ぎるとうっとうしくなる。」それが紙一重の所でうっとうしくならない物語になっていると思う。その辺の配慮、苦労はどのように。

山崎:どうなんでしょう?その辺は勘でやってますからね。あとは役者さんの力です。丁度いい感じに演じて下さってますから。

掛尾:いろんな監督にインタビューすると、どういうものを描きたいのですかと聞くと、人間を描きたいという答えが非常に多いです。人間を描くと、人の内側ばっかり描くんですよね、じっと窓の外ばかりみてる人とか。

山崎:僕らはエンターテインメントを作りたいんです。ある種王道のストーリーを照れずに。直球のってかっこわるいし、それが昭和という時代に助けられているような、照れくささがない。
阿部:直球でベタでも、ビジュアルの力で包んでいるんだと思います。山崎監督の真骨頂はすばらしいですよね。

掛尾:これだけさらにお客さまが増えて、お客さまのなかには住人が住みついていくと3作目は期待されて当然だと思うのですか。

阿部:これは大変ですよ。須賀君は18センチも伸びてるし、声変わりもしちゃってるしね。誰か作ってくれて客観的に観たい気もするね。
山崎:寅さんみたいにあるフォーマットが出来れば良かったんでしょうけど。次やるとしたら不幸な事を作らなきゃいけなくなるんです。それは撮りたくないなって。だって可哀想じゃないですか。

会場の観客からの質問
ー最後の夕日のシーンについて、1作目のようなキレイな夕日をイメージしていたら、2作目のは曇り空のような夕日だったんですが、そのシーンに込めた想いを教えて下さい。
山崎:1作目は未来へのクリアな夕日だったんです。たまたまその日にぴったりな夕日だったんですが。2作目は合成になるので、雲を選びました。天使が出てくる宗教画にあるような祝福感を出したかったんです。

ー丁度東京タワーが建つのを見て育ちました。1と2で何が言いたかったのか、教えて下さい。
阿部:1も2も言いたい事は同じで、最初に映画を作るときに思ったのですが、この映画はほぼ50年目なので、比較をしてもらいたい。1の最後で一平が50年後の夕日もキレイだって言い切ると、今がその50年後なんです。また50年後に夕日を残せるか。その頃の人情をここ3日間でも覚えててくれるといいかなと、その程度の事を思ってもらえるといいかなと、エンターテインメントってそんなもんだと思ってます。
山崎:幸せというのはどういう事なんだろうねって、考えてもらえればいいかなって。親に電話したという話しを聞くと嬉しくなる。

ー主題歌のBUMP OF CHIKENの曲に決まるまでいろんな人達に反対されたと聞きましたが、どれくらい反対されて、どうやって説得したのか教えて下さい。
阿部:僕は反対してないよ!
山崎:スタンダードナンバーにしようか、本編のナンバーにするか。反対というより、いろんな説がある中で、僕はバンプにやってもらいたかった。まず、誰か説明するとこからで、でも聞いてもらったらすぐOKでした。

ー世田谷でこういった企画をして頂いて、嬉しいです。東京への思いを聞きたいのですが。
阿部:東京で生まれ育ちました。東京タワーが出来る時を見ていたので、その衝撃をどうにか映画にと思っていたんです。東京に対する愛着というか、産まれたときから頭のうえに東京都が付いてるんです。
山崎:東京の人にとっては東京が故郷じゃないですか。よく、東京の人は故郷がないって言うけど、そんなこと無くって東京が故郷なんじゃないかな。

主催:世田谷区 財団法人せたがや文化財団 NPO法人映像産業復興機構

(Report:Niizawa Akiko)