10/1(日)、シネマート六本木にて『46億年の恋』のロングラン公開を記念して、映画冒頭で華麗なダンスシーンを披露している世界的なカリスマ演出振付家・ダンサー、金森穣のトークショーが行われた。

多くのダンス・ファンから熱狂的な支持を集めながらも、(自ら率いる日本初の劇場専属ダンスカンパニーNoismの本拠地が新潟のため)なかなか東京ではお目にかかれない同氏の素顔に触れられるまたとないチャンスとあって、雨のなかたくさんの観客が詰めかけた。スクリーンの前に置かれたイスに座ると、「自分が普段見慣れた場所じゃないので、すごく微妙な感じです。客席に皆さんが座っているのは同じですが、後ろを見るとスクリーンなので」と、ダンサーとして立つ舞台との違いに少しなじめない様子だったが、「金森穣やNoismを知らない方もいらっしゃると思うので、初めての出会いとしておもしろい話ができればと思います」と挨拶し、本作について力強く語った。

——本作に出演することになったきっかけは?
 Noismというダンスグループを立ち上げて、一番最初に作った「SHIKAKU」という作品の衣装をこの映画でも衣装を担当されている北村道子さんにお願いしたんです。そのことがきっかけで、公演に監督の三池さんがいらして、楽屋でご挨拶したんです。そこでの出会いから三池さんがこの映画を作り、北村さんに衣装をお願いするなかで浮かび上がった構想だと思います。

——まるで運命のようですね。
そうですね。北村道子さんその人そのものが運命の固まりのような人なので、自分がこうして今ここにいることも彼女の力のなせる技なのかなと思います。

——金森さんはこれが映画初出演だとお聞きしています。作中のダンスはどのようなことをイメージして、また、三池さんとどのようなお話をしてできあがったものなのでしょうか?
三池さんから具体的にこういうふうにして欲しいという話は、直接は受けていません。台本をわたされて、そのなかに書かれている活字から自分なりにイメージを起こして、こういう風に踊ろうかな、というのはありましたが——。
この仕事を引き受けた時点で、自分ではないイメージであればこの仕事は引き受けていなかったと思います。あくまでも三池さんが表現しようとしているもの、表現しようとしている場面、瞬間に、自分が信じるダンスのあり方や身体のあり方をそのままぶつければ成立するんじゃないかと思ったんです。呼んでくださった、選んでくださったことを信頼して、あまり「ああしよう、こうしよう」とは思わず、そのままの自分をぶつけてみようと思って踊りました。

——思いのままにという感じですか?
そうですね。思いのままにというと、なんでもいいのかという感じになっちゃうんですけど(笑)。そのシーンで求められていた、ある刹那な力であったり、叫びであったり、猛々しさであったり、ある種のエロスであったりっていうことは、自分が舞踊にたずさわって身体表現をしていく上で、常に感じていることです。その刹那なものは、たとえライブの舞台であっても映像であっても変わらない。だからそれを求めているのであれば、そのままの自分でいけるんじゃないかなと思いました。

——今、変わらないとおっしゃいましたが、とは言ってもいつもは舞台で観客の前で踊っていらっしゃるわけです。カメラの前で踊るというのは、なにか違いはありましたが?
撮影スタジオに実際行ったときは、「うわ、すげえ、ここ映画作ってるとこだ」って思いましたね。食事するとこでも、「これ舞台関係の裏方さんだな」とか、「もしかしたらあの人役者さんかな」とか、普通にワクワクしてました。
撮影に関しては、その現場、大きなスタジオ、真っ白な舞台の上にカメラがあって、スタッフの皆さんが観ていて、それはたとえその目がレンズであろうが人の目であろうが人の前にさらされて自分をぶつけるという行為に関しては舞台上でも同じです。踊ってる瞬間は「ああ、これ映画だな」とか、その辺の差違はまるっきり感じなかったですね。

——作品ができあがって、一人の観客として作品をご覧になって、どのような感想を持たれましたか? 会場はまだご覧になってない方たちがほとんどだと思いますので、ネタバレにならない範囲で教えてください
 純粋に一観客になれるかどうかは微妙ですけど、やはり自分が入り込んでいるので——。
ひとつ驚いたのは、映画でありながら現代演劇を観ているような空間のあり方が、どうなっちゃうんだろうって。自分自身が思い描いていた映画というメディアのあり方とはまた違うところにその映像があって、抽象的であるし、美的であるし——。あんまりネタバレしないようにしなきゃいけないので、どんどん言葉も抽象的になっていくんですけど(笑)、舞台、あるひとつの心象風景などがあって、その舞台をいろんな角度、いろんなアングルでとらえている感じは舞台そのものでした。闇の部分、要するに見えない部分というのが、すごく想像力を刺激する画(え)だなと思いました。